円山の歴史

昭和13年  7月、優良運転者の養成を目的として、社団法人岡山県自動車協会が同協会の一事業として岡山自動車学校を設立したのが本校の始まりです。同校は、昭和13年7月20日、岡山県知事から私立学校設立の許可を受けて開校され、第一期生は20人でした。
歴史画像1   歴史画像2
昭和15年頃  諸物資の不足に伴う物価高騰や時局の影響を受け、入学志願者の減少により、大正12年5月から発足していた社団法人岡山県自動車協会が解散されました。その影響を受け、岡山県自動車学校は、専ら自動車運転者の養成に当たることを目的とする財団法人へと移行しました。
昭和18年頃  戦争に伴って機械熱が上昇し、自動車運転者を志す県民が急増したことから、昭和19年1月、速成科を設けて修学期間を1か月とする合宿制度を開始しました。
歴史画像3   歴史画像4
昭和19年  3月、自動車修理業界の要請に応えて自動車修理工の速成教育を行うべく、 新たに自動車整備科が設立され、60人の生徒が修学期間6か月の合宿に入校しました。
昭和20年  6月29日、岡山市爆撃の際、数発が宿舎及び炊事場に落下しました。(財団法人岡山県自動車学校では、昭和19年末頃より連日に及んでいた空爆を避けるため、学校内に6か所防空壕を掘設していました。)
昭和21年
 歴史画像5
 終戦となり、旧軍人などの帰還者が増えて入校志願者が急増したため、入校生との定員を増やし、本科に代用燃料科を設けました。
昭和23年  11月、本科卒業生と同様、速成科の卒業生に対しても、自動車運転免許試験省略免許証が交付されることとなりました。
昭和25年  法改正に対応して小型運転免許証を取得する小型科を開設、小型自動四輪、自動三輪車に分けて教育を行うこととしましたが、志願者多数のため選抜試験を行い、最初は40人が入校しました。
 道路交通取締令の改正に伴い、自動車仮運転免許証が交付され、一般道路において自動車運転を習熟させる制度が始まりました。
 8月、一般自動車の運転試験受験者の強い要請があったことから、新たに運転指導科を設けて一般の練習希望者に対して指導教習を行うこととなりました。
 11月、小型免許についても試験が省略されることとなり、各種科程について免許試験がすべて省略されて免許証が交付されることになりました。この年、創立15周年記念式を挙行するとともに、試験官事務所と受験者休憩所を新築しました。
歴史画像6   歴史画像7
昭和27年  12月、新型自動車操縦法(ハンドルチェンジ自動車)の教習を開始しました。
昭和29年  自動車運転免許試験の受験者、本校の生徒、一般自動車運転練習者が増加したため、第二練習場を突貫工事で完成させました。
歴史画像8   歴史画像9
昭和31年
 歴史画像10
 8月、道路交通取締法施行令の改正により、大型免許の制度が新しく制定されたことにより、9月に貨物自動車を購入、11月には夜間照明装置を第一練習場に設置して午後9時までの教習が可能となりました。
昭和32年  開校20周年の記念事業として、第一練習場西南隅に車庫を新設しました。
昭和33年
 歴史画像11
 日産5トン車2台、小型乗用車2台(52年、53年式フォード)を購入しました。
昭和35年  12月26日、指定自動車教習所制度の発足に伴い、岡山県公安委員会から指定自動車教習所第1号の指定を受けました。
昭和36年  11月1日、姉妹校の倉敷自動車学校が倉敷市中庄地内に増設されました。
昭和39年  5月1日、財団法人岡山県自動車学校と任意団体の岡山県交通安全協会が合併し、「財団法人岡山県交通安全協会」が発足、事務所を岡山市内山下地内に移転しました。初代会長は、岡山県知事の三木行治氏、二代会長は加藤武徳氏でした。
昭和40年  2月10日、姉妹校の笠岡自動車学校が笠岡市内に増設されました。
平成25年  4月1日、公益法人制度の改革に伴い、運営母体である「財団法人岡山県交通安全協会」の名称は「一般財団法人岡山県交通安全協会」に移行しました。
 本校は、このように昭和13年7月20日開校以来、約80年を数える県内屈指の伝統校で、安全運転を遵守するセイフティードライバーの卒業生は20万人以上に及んでいます。
平成28年  4月1日付けで組織変更がなされ、昭和13年7月20日、岡山県知事の許可を受けて開校していた「岡山県自動車学校」を廃止し、一般財団法人岡山県交通安全協会の事業局に岡山円山自動車学校、倉敷中庄自動車学校及び笠岡自動車学校の3校を附置することとなりました。
   岡山県交通安全協会は、12月26日付けで、岡山市北区御津中山444番地3岡山県運転免許センター内に所在地を移転しました。

教習生の方

基本情報